『Watch with Me 〜卒業写真〜』

映画「Watch with ME卒業写真」のタイトル画像

 

『Watch with Me 〜卒業写真〜』(そつぎょうしゃしん)は2007年4月21日公開の日本の映画。
『千年火』の瀬木直貴監督が贈るヒューマンドラマ。がんを患い、余命半年と宣告された元報道カメラマンが故郷に戻り、失いかけた自身の思い出を辿る道程と、それを見守る妻や友人たちの心のきびを情感豊かに描き出した感動作。名バイプレーヤーの津田寛治、羽田美智子が共演。

公式の作品情報

製作年:2007年
製作国:日本
上映時間:2時間5分
公開:2007年6月9日
配給:ティ・ジョイ 監督:瀬木直貴 出演:津田寛治、羽田美智子、中野大地、高木古都、根岸季衣、秋本奈緒美

 

予告編

 

レビュー

ノベライズした本を読んでからDVDで見ました。
ストーリー展開に一部無理あがあるかなぁと思うところもありましたが「つくってる感」がなく、無理に泣かせよう、なんてのは一つもありません。派手な演出がなくすごく詩情豊かで、ボロナキしてしまいました。

 

そして何といっても津田寛治さんが圧巻!前からファンだったのですが、彼は本当に名優だと思います。彼本人が派手!みたいなわけではなく、共演者の方の良さを引き出しつつ静かに光ってました。

 

最後の場面で夫役の津田寛冶さんが、もうろうとした意識の中で自分が撮った奥さんのポートレート写真を飾ってほしいとお願いするんですけど、 「ああ。この人は、奥さんを心から愛していたんだ」と、思うと、涙がとまりませんでした。

 

恋人と一緒にしみじみ見たい感じです。

あらすじ

ずっと一緒に居られたら、と願った

がんを患い余命半年と宣告された上野和馬は、残りの余生を懐かしい故郷で過ごそうと同級生だった医師・田中の勤務する福岡県久留米市のホスピスに入院する。
見舞いに訪れた同級生達と再会した彼は一人の少女のことを思い出せない。
妻・由紀子と懐かしい故郷の地をめぐる和馬は、写真を撮りながら、少女との記憶の欠片を次第に取り戻していく。
やがて、和馬は、故郷の風景や人々を撮り集めて最後の写真集を作り上げる決意をする。由紀子はそんな和馬に協力するのだが……

 

次第に明らかになる少女との過去と進行する和馬の病状。余命わずかと宣告されたがん患者、彼を看病する妻、彼らを取り巻く親戚や友人たちの心のきびを情緒豊かに描く。

 

映画「Watch with ME卒業写真」登場人物の相関図

 

オフィシャル公式スタッフ

  • 監督:瀬木直貴
  • プロデューサー:瀬木直貴・佐藤朝泰・藤本敦史
  • 脚本:高坂圭・瀬木直貴
  • 音楽:谷川賢作
  • 主題歌:Hi-Fi Set 「卒業写真」
  • 製作:映画「Watch with Me 〜卒業写真〜」制作委員会
  • 配給:ティ・ジョイ
  • 特別協賛:株式会社東洋神宝
  • 協賛:NTT西日本福岡支店・株式会社梅の花・久留米大学・鳥越製粉株式会社・福岡県宅地建物取引業協会・雪ノ聖母会 聖マリア病院・株式会社ムーンスター
  • 後援:福岡県・久留米市・日本ホスピス緩和ケア協会
  • 支援:ビジュアルコミッション筑後

主題歌

エンディングで流れる主題歌は、Hi-Fi Setが歌う荒井由実(現・松任谷由実)作詞・作曲の「卒業写真」。
ヒロインを演じた高木古都が歌う「卒業写真」は、映画のイメージソングとなっており、高木のデビューシングルとして2007年4月18日発売された。 カップリングはHi-Fi Setが歌う「卒業写真」。

 

Hi-Fi SET

ハイ・ファイ・セット (Hi-Fi Set) は、日本のコーラスグループ。1974年結成、1994年解散。

 

メンバー
  • 山本潤子
  • 山本俊彦
  • 大川茂

 

来歴

フォークグループ「赤い鳥」が路線上の違いから1974年9月に解散。「赤い鳥」のメンバーだった山本潤子(旧姓、新居潤子。1973年4月メンバーの山本俊彦と結婚)、山本俊彦(1947年2月23日 - 、大阪市出身)、大川茂(1945年9月6日 - 、三重県出身)の3人が同年10月に結成した。
グループ名は細野晴臣の案による。
1975年、「卒業写真」(作詞・作曲:荒井由実、編曲:服部克久)と同名のアルバムの同時リリースでレコード・デビュー。以降「冷たい雨」「朝陽の中で微笑んで」など、荒井の曲を数多くヒットさせ、後に松任谷自身のセルフカバーにより人気を引き上げる役割を果たした。

 

1977年、ブラジルのシンガーソングライター、モーリス・アルバート(Morris Albert)の「愛のフィーリング(原題はFeelings)」になかにし礼が歌詞をつけたカバー曲「フィーリング」が大ヒット。
第28回NHK紅白歌合戦にも出場。以降、山本潤子のソプラノ、山本俊彦のテナー、大川茂のバス・ヴォイスによる抜群のコーラスワークと都会的で洗練されたアレンジで、ニューミュージック全盛の時代に高い人気を誇った。
一時期、広松三和子を「サポートメンバー」として、4人でコンサートをしていたことがある。
1980年にいったん活動停止するが、1年後に活動再開し、4ビートジャズを日本語の歌詞で歌うなど新境地を開拓した。1984年には「素直になりたい」がシチズンのCMソングに使われてヒット。1992年10月の活動休止まで、シングル曲26枚、アルバム19枚を残し、1994年9月に解散。

 

解散後、山本潤子はソロシンガーとして、山本俊彦はプロデューサーとして活動している。一方、大川の消息は全くつかめていない。

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